8月14日(月) いわき市 から 平田村
「山道の多い日本列島」

 昨日はたくさん寝たせいか、朝の目覚めはさいこうだった。
 今日も朝ご飯は、作る必要もなく、本田さんのご両親のお世話になった。
 今日のビッグイベントとして平田村までのキャンプ場までの840メートルの峠だ。
 午前中は暑いながらも、割合スムーズに事が進んだ。 問題は午後から始まる、延々と続く坂道であった。私は午後に自転車に乗ったのだが、本当に坂が延々と続くのであった。いくらこいでもこいでも延々とのぼり坂。前日の強風のせいであろう、足の腿の筋肉が痛くてしょうがなかった。
 さらに驚いたのが、キャンプ場までの上り坂だった。今までの坂道とはうってかわって、先の見えない坂道だった。ギアを一番軽くしても、自転車がまったく進まなかった。私は何度も自転車を降りてしまった。でも自転車を引いて、頂上に行くことはしたくなかった。自転車に乗って、頂上に到着したかったからだ。タケチャが一番後ろからついてきてくれていたのだが、「大丈夫?交代しようか?」と何度も心配してくれた。だが、ここで交代するのは、自分に対して負てしまうような気がしたので、絶対登りきってやる、と心に誓って、気力でこぎつづけた。「これでもか、これでもか!!」と進んでも、ゴールはまだまだ。本当に自分は登りきれるのだろうか、と諦めかけたとき、上の方からみんなの声が聞こえた。私の姿を見つけてくれると、「ヨウコ、ファイティン!!」と励ましてくれた。やっと、ゴール!!私は達成感でいっぱいだった。
 途中であきらめなくてよかった。走りきったことによって、自分に自信のついた一日だった。

 8月15日(火) 平田村 から 郡山
「猪苗代湖のほとりで」

 今日は、日本の終戦記念日であり、韓国にとっての独立記念日でもある、私たちのツアーにとっても意味深い日である。
 キャンプ場の朝はとてもきれいだった。山の上ということで、朝の風がここちよく、景色が最高にきれいであった。我々一行は、あたりの山々が見渡せる展望台に立って写真を撮りながら、朝のひとときを楽しんだ。今日の目的地は、猪苗代湖のほとりにある少年湖畔の村である。
 午前午後と、割合山が多かったが、山に囲まれた景色の中を、順調に進んできた。しかし、途中で事故が起こった。はるちゃんが転んだのある。しかも、自転車ごと転び、頭をうってしまった。幸い、たいしたことはなかったので、一安心したが、、、。いきなり前がとまってしまったのが原因で、手信号を見落としていたのだった。暑いと集中力も切れるし、また集中していないと車間距離も狭まってしまうので、気をつけなくては。
 山を越えて猪苗代湖が見えてきた。水が透き通っていてとてもきれいだ。しかも、夕日が湖を照らし出していてまさに芸術であった。この湖は、磐梯山が噴火してできたわけなのだが、我々が宿泊した次の日に、磐梯山が小噴火を起こした。そのせいで、猪苗代湖の近くのホテルなどでは急激に、お客のキャンセルがでているという。
 夜ご飯は、ジョンウンが料理長として、ビビンバとワカメスープを作ってくれた。ビビンバは本格的に近く、ワカメスープも韓国の味であった。みな、いつものように、人間的ではなく、動物のようにご飯に食らいついていた。疲れていて、早くご飯を食べたいのはわかるのだが、もう少し食事の時間を楽しみながらゆっくりととりたいものである。この日は、前回の韓国ツアーの参加者であるてっちゃん、そしてとものイギリス留学中の友達が来てくれ、しかもふたりともビールのさし入れをしてくれた。
 消灯、11時30分。

 8月16日(水) 郡山 から 会津若松
「馬刺しの苦手な韓国人」

 6時半に起きて、朝から焼きそばを食べた。今日の目的地は会津若松。福島県の有名な観光地である。
 今日は会津若松国際交流協会の方が紹介してくれた、宿泊地にとまることになっている。鶴賀城の目と鼻の先に位置していて、きれいとは言えないが、蒲団もあり快適に過ごことができた。目的地に早く来すぎてしまったので、二時間ほどの自由時間ができた。ちょうど鶴賀城の駐車場で休憩できたので、鶴賀城をのぞくことができた。近くまで行って思ったことは、そんなに大きくないのだということ。いままでツアーをしながら姫路城、名古屋城など、お城を見てきたが、鶴賀城はそのなかでも大きくはなかった。
 交流会もしていただいた。ハングル講座の方々、サッカーサポーターの方々に歓迎されて交流会がはじまった。今日のメニューは、ビビンバとわかめスープ、そしてユッケジャンとサラダなどなどであった。準備の手伝いをしながら本日のメニューを聞いた時、昨日の夜ご飯のメニューがビビンバとワカメスープだったと言うことを、決して口に出すことはできなかった。さらにスペシャルメニューが私たちを待っていた。それは、会津名物、「馬刺し」である。韓国式にサンチュに巻いて食べるように出されたのだが、日本人や前回の日本ツアー参加者のキョンエ、ジョンウンは喜んで食べている反面、他の韓国人は食べようともしない。理由を聞いてみると、かわいそうで食べられないのだという。韓国には馬を食べる習慣がないので、日本人が馬を食べると聞くと、残酷だと思うのであろう。しかし、逆に韓国では犬を食べる習慣があるから、お互い様であるとも思うが。
 交流会はとてもたのしかった。皆さんとてもすてきな人達ばかりだった。日本の歌や韓国の歌を、お互いに交換しあったりしながら、楽しいひとときを過ごした。一次会を3本しめで終えた後、二次会をしたい人はそのまま、寝たい人は二階でねた。しかも次会組みは、さらにカクテルバーに行って、飲んだようである。皆、とても疲れているのに、すごい体力である。

 8月17日(木) 会津若松 から 津川町
「ハルコ家族登場」

 昨日は、会津若松の国際交流協会をはじめとする方々に交流会をしてもらい、中には夜中の二時ごろまで一緒に飲んでいた人もいたようだ。皆眠い目をこすりながら、朝の準備をはじめた。
 東北にはいってから、山道を走ることが多くなったが、今日の山道はかなりつらいものがあった。峠を3つ超えなければならないのだった。
 午前中、走り出してからしばらくして、山道にはいった。だんだんと坂道が急になってきて、終わりがないように思えた。周りの景色はとてもきれいなのだが、それさえも見ている余裕がないほど、特に女の子たちは疲れていた。ただ、ここでありがたかったのが、タケチャやボンゴチャの応援であった。少し進んだところで待ってくれては大きな声で応援してくれたので、そのたびに元気付けられた。 一つの峠を超えた所で一度休憩した時、ハルコが目を真っ赤にして、呼吸困難の状態に陥っていた。おそらく、この延々と続く山道が影響したのであろう、しかもはるちゃんは前日に会津の人々と夜の二時まで飲み会をしていたのだ。休憩をしてしばらくしたら大分良くなったので、再び出発した。トンネルを超えた所で、私たちに声をかけてきた人がいた。ハルコが「お母さん!」と叫んだ時点で、誰だかが判明した。ハルコの実家は新潟ということで、家族で応援にきてくれたのだ。しかも、ハルコには一言も知らせずに。みかんとスポーツドリンクの差し入れをしてくださった。
 今日の夜は津川町の河川敷でのキャンプ。午後も二つの山越えをしたので皆疲れているはずであろうが、男の子たちは、キャンプ場に到着するやいなや野球をはじめた。
 津川町は、昔の雰囲気が漂う町並みで、とてもきれいだった。川の水が透き通っていて、泳いでいる子供の姿も見られた。目の前には山も広がっていた。
 夜ご飯は、カレーライス。交流会でいただいた野菜などを使ってしまおうということで、野菜カレーになった。電気がないため、7時を過ぎたころには、もう何もみえなくなっていた。

   8月18日(金) 津川町 から 新潟
「マスコミ三昧 in新潟」

 今日は、7個目の都市、新潟に訪れる日である。キャンプの次の日はいつも体が痛い。テントの中で寝るし、寝袋をつかって寝るのでしょうがないと思うが。1時までに到着地である、新潟に到着しなければならなかったので、午前中、皆一生懸命に走った。途中で長谷川さんという、今回の新潟での私達のお世話をしてくれる方と合流した。長谷川さんは、新潟県サッカー協会の方であり、2002年のワールドカップの準備をしておられ、前回に引き続き、今年の自転車ツアーのお世話もしてくださっている。
 長谷川さんのおかげで、我々一団は新潟での滞在を大変楽しく過ごすことができた。そして、新潟県の方々に自転車ツアーを広めることができたのである。
 今日は、3回もマスコミの御世話になった。
 1つ目は、新潟放送である。お昼ご飯を食べ終わって、新潟スタジアムに行く前、私達は新潟放送のリポーターのめぐちゃん(小さくて、ピョンピョンしていてかわいい)に呼びとめられ、取材を受けたのである(まあ、そのような段取りだった)。インタビューを受けたのは、リーダーのヒジュンとトモと、新潟県出身のはるちゃんだった。これは生放送でスタジオにいるDJとも同時に話せるようになっていた。めぐちゃんは、3人に「どこからきたんですか?」「新潟では何をなさるんですか?」「ワールドカップについてどう考えていますか?」などと、質問を3人に交互にしていた。3人もまるでインタビュー慣れしているかのように、得意気に答えていた。このインタビューは新潟中に約7分間放送されたのである。
 2つ目は、新潟競技場を訪問したときである。ここでは、新聞社とテレビ局が来ていた。我々一団が競技場を見学しているとき、また終わった後も、個人的にインタビューされた。皆「テレビデビューだ!」と、喜んで答えていた。
 3つ目は、夜J2リーグの、新潟アルビレックスと水戸ホーリーホックスの試合のハーフタイムであった。私達は、実際グラウンドまで降りて、サポーターの前で挨拶をした。「みなさん、こんばんはー!!」と全員で言ったあと、ヒジュンが一生懸命練習した日本語で、「ワタシハ、カンニチワールドカップ、カイサイトシ、リダーノ、チョン・ヒ・ジュンデス。」と自己紹介をすると、サポーターの方々が快く迎えてくれ、温かい拍手を送ってくれた。
 今日は、本当に盛りだくさんの一日であった。夜は、長谷川さんが用意してくださったスポーツセンターの合宿所で過ごした。とても清潔なところで、大きなお風呂もついており、ゆっくり過ごすことができた。

 8月19日(土) 新潟 から 小国町
「ハエとの戦い」

 6時半に起床。スポーツセンターの合宿所で過ごした次の朝。今日の朝ご飯はなんと、バイキング。しかも落ち着いた雰囲気のレストランで。まるでホテルにいるようであった。
 皆、喜んで朝から大満足だった。こうやって、すばらしいご飯が食べられたのも、今回私達を御世話してくださった長谷川さんのお陰だった。
 昼は、新潟の海で休憩。日本海の海で遊んだのは初めてだったが、とてもきれいだった。韓国では日本海のことを東海(トンへ)と呼ぶ。韓国の東側にある海という意味だ。私が去年韓国で勉強していたときに学んだことなのだが、韓国では日本海というと、嫌な顔をされる。日本海を日本の海とは認めていないからだ。私はそのことで、ある韓国人の学生と喧嘩になりそうになった。それは、「竹島はどちらの国のものか?」というくらい、韓国人にとっては敏感な問題なのだ。
 自転車をこぎながら、私は後ろにいたチョンウンに「これが東海だよ。」というと、チョンウンは「わー、家族に会いたい。ここを泳いでいけば韓国につくんだね。」といった。泳いでいける距離であれば、私も行きたいほどである。
 今日の宿泊地は山形県の小国町にあるキャンプ場であった。山のうえである。この山を少し登り始めると、いきなりハエの大群が私達を襲ってきた。どこから発生してきたのか、なんでこんな大きいのか、不思議なくらい変なハエどもであった。ハエと戦いながら、また激しい坂と戦いながら、自転車隊は頂上を目指した。頂上に到着する頃には、ハエも少なくなっていた。
 今日は、初めて100キロを超えた日であった。一日自転車を乗りとおした人たちだけで記念撮影をした。山の上は寒く、また今日も寝袋の取り合い合戦が繰り広げられていた。

 8月20日(日) 小国町 から 天童
「なんでそんなに厳しいの?」

 今日は、キャンプ場から坂をくだって、まずはじめのコンビニで朝食。量が少ないと皆ブーブー文句をいった。午前中はゆったりとした上り坂が続いたが、そこまでは負担にならなかった。ただ一つ怖かったのはトンネル。500メートルを超えるトンネルをくぐるのは大変である。普通トンネルをくぐるときは、伊藤君を先頭に、皆一生懸命自転車をこぐ。その横をタケ車あるいは、ボンゴ車が並走し、ライトで照らすのだが、、、。その車はなかった。
 トンネルの中は暗い上にうるさい。暗い道を走っていると平衡感覚がなくなってふらふらしてしまう。突然、「バン!!」という音が鳴り響いた。恐らくバイクから出た音であろう。びっくりして転びそうになった。私は前から2番目を走っていたが、後ろを振り向くと転んでしまうので、トンネルを抜けるまで前をむいて懸命にこいだ。
 トンネルを抜けた後、後ろを振り向いても誰もいなかった。事故が起こってしまったためだった。ミョンヒが先ほどのバイクの音にびっくりして転んでしまったのだ。幸い、ひざを少し擦りむいただけで済んだものの、もし、他の自転車や車を巻き込んでいたら大惨事になっていただろう。
 お昼ご飯は神社でコンビに弁当。久しぶりの豪華な昼食。午後は、イトウちゃんに代わってともが先導者として出発。今日の目的地は天童市の青年の家。この宿泊地がまた不思議な所であった。
 まず、規則が厳しい。5時に到着して我々一団を待ち受けていたのは、20分あまりのオリエンテーション。そこで何をしたのかというと、蒲団のたたみ方を教えられたのあった。しかも、担当者の方が、しまいにはキューピーちゃんまでを持ち出して、説明しだしたのであった。これにはあきれてしまった。
 ご飯は昔懐かしの給食であった。食堂へ行っても、全てが矢印で進む方向を示してあり、順々にセルフサービスでもらっていくという仕組みである。
 夜は、必ず一時間は研修時間を設けなければいけないということで、今までに競技場訪問をしたことに対するディスカッションをすることにした。一人ずつ良かった競技場、悪かった競技場を挙げ、その理由を言っていった。皆、一生懸命に意見を出し合い、気付けば2時間を過ぎていた。
 今日の夜は、イベントがあった。それは、チエの22歳の誕生日である。恒例のケーキ顔押し付けが行われ、チエの顔はクリームで白くなっていた。誕生日会が終わり、なんと10時半には消灯である。まるで小学生並だと感じたが、ゆっくり寝られるいい機会でもあった。

   8月21日(月) 天童 から 仙台
「雨の仙台」

 6時半になると、音楽が鳴り出した。そしてアナウンスの声。朝から騒がしいところである。起きて、朝の点呼をし、班で指示された清掃場所へ。男女浴室、トイレ、2階廊下、そして客室と分担が決まっているのだ。それが終わったあとに朝ご飯。また給食が出たのだが、おいしかった。
 今日は、本来登るはずであった蔵王の山がなくなったので、皆一安心と言うか、がっかりしたというか、そのような心境であった。箱根よりも辛いという蔵王に挑戦したかった人もいただろう。しかし、今日のコースも結構ハードで14キロ登りで400メートルアップ。蔵王には登らないものの、ハードなコースである。しかも今日は雨が降っていた。
 お昼はマックのハンバーガー。もちろん平日半額のもの。しかし、今日はいつもより少し豪華で、65円のハンバーガープラス、80円のチーズバーガーであった。そしてポテトも。食べた場所は青葉城。有名な戦国大名、伊達政宗が築いたお城である。お昼の休憩をした後は、いざ宿泊地へ。
 仙台は東北の中心地でもあり、市街地は栄えていた。宿泊地は市街地から5キロ程離れた所にあり、青年会館の地下の大広間(畳の大部屋)を貸してもらうなった。
 6時半から交流会が始まったのだが、仙台市のサッカー協会の方や、ハングル講座の方々が集まって下さり、和やかな雰囲気の中で交流会が行われた。韓国人の人も何人か来ていて、交流会が終わった後に、ドンスとキョンエとウンスクは、その人の家に招待されたようだ。
 悲しいことに、今日は病人が出てしまった。ジュヨンである。目のまぶたや、腕、足、お腹など、身体中に赤くじんましんのようなものができてしまったのである。幸い、青年会館から歩いて5分の所に病院があった。スペルマン病院といい、なんとなく西洋の雰囲気を思わせるような名前だが、ここで診てもらうになった。診断の結果、過労だということがわかった。赤くじんましんができてしまうのは、身体が非常に疲れているため、ちょっとした刺激(例えば、虫に刺される)ことによって、身体が敏感に反応し、じんましんが発生してしまうというものなのだ。
 早速、治療をということで、点滴を打つことになった。ジュヨンは嫌がったが、早く治すためだと説得するとわかってくれた。
 スペルマン病院でみてくれた医者は、小阪先生という内科の先生だった。小阪先生は私達の自転車ツアーにとても興味をいだいてくださった。話を聞いてみると、学生時代やはり学生の有志が集まって作った『Peace Boat』という団体で、船に乗って東南アジアに行ってはボランティア活動をしていたそうなのだ。そこで、治療代を安くしてくれた上に、点滴を打つ際に栄養剤をサービスしてくれたり、痛み止めの入ったシップやかゆみ止めの薬もご好意でくださった。ジュヨンも点滴が効いたのか、帰る頃にはじんましんもほとんどとれた。本当に、小阪先生には深く感謝である。
 交流会は9時にお開きとなった。あとの時間は自由時間。今日もまた慌ただしく一日が過ぎていった。


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